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わせだマンのよりみち日記

2019.07.24

極北の地だからこそ残った資料たち ~礼文町郷土資料館見学記

この写真は、人骨が発掘された時の様子を撮影したもの。もし、自分が唐突にここまでリアルな人骨を目にしたら、「事件か!」と腰を抜かしてしまいそう。ご覧の通りキレイな状態ですので、私のような素人の目には、ごくごく最近のものにしか見えないわけです。

でもこれ、実は4千年近く前の縄文人のもの。そう聞いて、思わず「え!」と声が出ました。だって、こんなにきれいな状態が維持されるなんて…4千年ですよ、4千年!

ここは北海道・稚内からフェリーで2時間ほど西に進んだ場所にある礼文島。学芸員さんによれば、この島は微生物が元気に活動するには寒冷すぎて、分解されにくいのだそうです。加えて、貝によってカルシウムが補われ、砂の酸性度が低いことなどの要因が複合的に働き、骨はこのようにキレイな状態で残ることが多いのだとか。

うかがったのは、礼文町郷土資料館。館内には、国指定重要文化財である船泊遺跡の出土品がたくさん展示されていました。島の北部にある船泊遺跡では、縄文時代後期の土器や人骨が多数発見されています。上の写真でもわかる通り、墓には生活用具や装飾品も数多く納められているそうで、中にはヒスイなど島外の素材を使った貴重品も。海を渡った交流が盛んだったことがわかります。

 

船泊遺跡の名は、最近の報道などで耳にした方も多いのでは。というのも、今年5月、国立科学博物館の研究チームが人骨のDNA情報から「縄文人の顔」の復元に成功というニュースがメディアを賑わせたから。写真の骨の保存状態を見るに、何だか納得できますね。

こちらは、資料館で配布されているガイドブックに掲載されていた、国立科学博物館が製作した復顔像の写真です。当時の人の肖像のようですよね。

骨角器も保存状態がよく、天然のアスファルトが付いたものもあります。ただし、アスファルトは「この島にはないもの」なのだとか。活発な交流が想像できるだけでなく、神秘的な古代ミステリー感にゾクゾクしたり…。

こんな感じで、動物のホネもキレイですね。

縄文時代が終わると、続縄文、オホーツク、擦文という北海道独特の文化がこの地に栄えます。サハリン島南部から来た人々によりもたらされたオホーツク文化の遺跡からは、タラの骨が出るそうです。

縄文人たちは、夏にこの地にやってきて冬には南に帰っていたとのこと。冬の魚であるタラを食べていたということは、オホーツクの人々は縄文人と違って冬にも島にいたということになります。こうしてさまざまな角度から検証した推理が積み重なって、太古の歴史が解明されていくのですね。

そんな古代のロマンを感じる展示から、時代はヒトコマずつ現代へと進んでいきます。北前船が描かれた絵画、ニシン漁の写真や漁具、そして現在も就航している稚内と礼文島を結ぶフェリー。どのシーンにも、厳しい海と向き合いながら生きてきたこの地の人々の力強さを感じます。

到着時は天候に恵まれなかったのですが、帰る頃にはすっかり晴天に。フェリーからは利尻富士が美しい姿が楽しめて、充実の出張にまたひとつ「得した気分」が上積みされました。遠く縄文の人々も、厳しい海に怖れを抱きながら、いまの私と同じようにこの美しい山を船上から眺めていたのでしょうか。そう思うと、日々の悩みがとても小さなことに思えて、元気が湧いてくるような気がしました。


礼文町郷土資料館 http://rebun-museum.org/
礼文島遺産ミュージアム http://www.rebun.org/