ブログ

わせだマンのよりみち日記

2018.12.13

少しだけ「沖縄」に近づけた一日 ~豊見城市歴史民俗資料展示室見学記

「ここは、『とみぐすく市』なんですよね。でも、甲子園によく出場していたのは、『とみしろ』高校ですよね。同じ字なのに、なぜ呼び方が違うんですか?」

案内してくださった学芸員さんに、素朴な疑問をぶつけてみました。すると、こんな答が。

昔、沖縄が本土から差別されていた時代があった。その影響で「本土読み」を使っていた時期がある。「とみしろ高校」という読み方は、その名残。

沖縄以外の博物館では耳にすることのない話は、展示の見学中にもいくつも出てきました。たとえば、こちら。展示室の前に置いてある魚雷、これは終戦から半世紀以上を隔てた平成9年、市内のビル建設現場で発見されたそうです。

戦時中に使用された武器や兵器は、館内にもたくさん展示されています。戦争関連施設であればよく見かける風景ですが、地域の資料館にしては非常に多い印象。わけを聞いてみると、沖縄には「壕」がたくさんあって、現代でも工事現場からよく出てくるそうです。

ここは「戦場」だったのだ…資料が語りかけてくるようでした。

手で触れることができる砲弾の破片の展示もありました。長さ20センチ程度の破片なのですが、ビックリするほど重いです。

この巨大なうちわみたいなものは、風車についていたハネ(風向舵)です。右側の写真にも写りこんでいますね。この地域は、戦後、米軍へ納入する野菜の栽培が行われていたのですが、この風車は農耕用に地下水をくみ上げるために使われていたのだそうです。米軍のために野菜を作っていた…これも沖縄独特のエピソードですよね。

話題はガラッと変わって、地元のお祭りで使われる旗頭をご覧ください。左側ひし形の真ん中に描かれているのはムカデです。実はこの地では、ある意味「ムカデ最強!」なのだとか。なぜだかお分かりですか?

答は、龍などの巨大な「怪物」に耳などから侵入し、中からやっつけてしまうから。ムカデは、怪物の天敵とされているのだそうです。したがって、お祭りでは「魔除け」として旗頭に描かれているわけですね。

昭和の生活道具、最近よく見かける展示ですが、ここにも沖縄らしさがありました。左上は自家製のみそ製造機だそうですが、アルファベットが書かれていますよね。これは、挽肉を作るミートチョッパーと発動機を組み合わせたもの。手作業よりずっと楽に味噌を作ることができるそうですが、アメリカの道具が目的を変えて生活に浸透している様子は、ほかの地域ではあまり見かけませんよね。

「戦場」だった沖縄、米軍が身近な存在だった沖縄。ほかの地域とは一線を画す独自の歴史が、展示にも色濃くにじんでいました。

豊見城市歴史民俗資料展示室
http://www.city.tomigusuku.okinawa.jp/tourism_culture/1134/730