ミュージアムリサーチャー

ミュージアムレポート

3月8日~9日、仙台市博物館で開かれた日本博物館協会の研究協議会「東日本大震災に学ぶ資料管理」に参加し、東京に戻った翌日の3月11日、「震災からよみがえった東北の文化財展」(東京都立中央図書館)に行ってきました。この二つのイベントを通じて、レスキューにかかわった学芸員の皆さんが、「文化財を守る」ということに対してとても強い思いを持っていらっしゃることを感じ、献身的な活動に改めて脱帽する思いでした。

 

 

 

 

 

 

 

協議会の発表で特に印象的だったのは、岩手県立博物館の鈴木さまのご発表でした。数多くの文化財を救うことができた最大の理由は、人のつながりだった、とのこと。発生直後から、「何かできることがあれば」と各地の学芸員から連絡があったそうです。津波の被害を受けた沿岸部から運び出してきた資料の数々を、館のバックヤードで洗浄などの処置をされていたのは私も当時見学させていただきましたが、カバーしきれないものは各地に発送し、遠隔地の館で処置してもらったそうです。実際に私も、愛媛の博物館に訪れたときに、陸前高田の博物館の植物標本を処置しているという話を聞きました。全国的に助け合いの輪が広がっているんですね。

これが組織どうしだったら、責任範囲の問題、かかってくるコストの問題、その他さまざまな細かいことを協議して決めたうえで、機関として文書を取り交わし、決裁してから始めて動き出す、ということになります。しかしあの当時の状況では、そんなことはとても無理。「手が回らなくて…」「わかった。とにかく送って!」と、電話1本、メール1通の世界です。普段からの付き合い、信頼関係が組織や距離の障壁を越えて出来上がっていたこと、それと、かかわったすべての方が、「何とかするんだ」という同じ思いを持っていたことが、数多くの貴重な文化財を救ったのだと思います。

文化財を守りたいという思いの伝播は、博物館の中に限ったことではありません。奈良文化財研究所でのレスキュー活動が新聞に取材され、そこで冷蔵倉庫が足りない、と話されたら、その記事を読んだ奈良市場冷蔵という地元企業が提供を申し出てくれたそうです。普段は食品を保存するのに使う冷蔵倉庫を、有害なカビが発生するかもしれない水損した資料保存に使うのは、かなり勇気がいることだったと思います。その会社の社長さんには、最大限の拍手を送りたいと思いました。

「震災からよみがえった東北の文化財展」では、遠野市立博物館の学芸員の方の解説を聞きながら、展示を見ることができました。ここでは、レスキュー活動で救うことができた資料が展示されていて、活動の当事者ご本人からの苦労話をまじえて、一つ一つの資料について説明を受けました。こういう人たちの損得抜きの活動で、これだけの資料が守られたということなんですね。

そんな熱い思いに触れた3日間だったわけですが、学芸員は、ただ熱いだけではありません。冷静に考えると、人のつながりで救えたということは、どちらかというと偶発的な話。知り合いがいたからできたことで、人的ネットワークは人によって濃淡がありますし、例えば頼りにしている人が長期出張だったら処置が遅れる、ということにもなります。研究協議会で発表された皆さんが共通して訴えておられたのは、「緊急時に機能する恒常的な組織、ネットワークを、平常時に用意しておくこと」でした。今回の発表で、「何が必要なのか」は参加者共通して認識できたと思います。あとは、国や自治体レベルでの制度の構築が待たれるところです。

もう一つ発表者に共通していたのは、今回の経験をノウハウとして残し、次回の災害への備えとしたい、ということでした。そのあたりはさすが学芸員ですね。私のような一般人は、「救えたら御の字」で終わってしまいがちです。実際、当社がかかわっている被災資料デジタル化のプロジェクトでも、メンバーは報告書としてプロジェクトで得たノウハウを残すことを、デジタル化の成果そのものと同じくらい重視していました。

思いでつながった人的ネットワークがあり、それをバックアップする組織が出来上がって、今回の震災のノウハウがきちんと残される。そういう状態になれば、大災害があっても今回以上に文化財を守ることができるでしょう。当社も、その輪の中でもっとお役にたてるようになりたいものです。