ミュージアムリサーチャー

ミュージアムレポート

 

今回は、日本で唯一の哲学をテーマにしたミュージアム、石川県西田幾多郎記念哲学館の「哲学対話」の取り組みをご紹介します。私自身は、哲学に関する知識はまったく持ち合わせていなかったのですが、自然に「これからは哲学が大事になるかも」と感じるほどの刺激を受けることができました。

私たちは、子どもの頃から、社会や学校、所属する組織の規範やルールに従うことを前提に教育を受けてきました。けれども、社会の変化がとても早くなり、ルールの制定や変更が追い付かなくなり始めた現代。参照すべきルールが見当たらなかったり、古いルールがそぐわなかったりすることが増えてきたようにも思います。そんな中で、これからの社会はさらに変化の速度が増すかも知れないとしたら。時には「ルールがない状態で判断しなければならない」ケースも生じるかもしれません。

そこで大切になるのは、物事の本質を見抜き、善悪や是非を判断する力。それこそ「哲学」の出番となるわけですね。

…と、勉強をしたこともない私も、何となく「哲学」の基本が分かったような気分なったわけです。

 


石川県かほく市には、「共通道徳」という授業があります。市町村合併前の旧・宇ノ気町の時代、西田記念館(西田幾多郎記念哲学館の前身)では、小学校の先生たちの間で「子どもたちに地元の偉人・西田幾多郎を学んでもらおう」という活動があったそうです。合併後も、市内全体で共通の道徳教育ができないかという思いのもと、平成21年から上記の授業が実施されるようになったのです。

その授業の一環で、西田幾多郎記念哲学館には子どもたちが訪れるようになりました。でも、西田幾多郎という人物を知ることはできたとしても、「哲学って何だろう」という疑問が残ってしまいます。そこで、平成29年度からは「哲学対話」がプログラムに加わりました。

哲学対話では、たとえば「努力したら必ずよいことがあるのか」といった設問に対する答を考えなければなりません。でも、これは大人でもすぐに答えることは難しいですし、しかも正解らしい正解はないのかもしれません。私も考えてみたのですが、生前には評価されることなく没後に認められた芸術家については、何と答えるべきなのか…。

これ、実は「何と答えてもよい」んですよね。

哲学対話は、クラスでの通常のコミュニケーションとは違い、何を言ってもよい場となります。どんな発言も、どんな発言者も、原則として「認められる」のです。セーフティな場であるがゆえに、今まではなかなか発言できなかった子、あるいは人と落ち着いて対話するのが苦手だった子なども、しっかり発言できるようになるのだとか。実際に、ギクシャクしていたクラス内が円滑になるなど、さまざまな効果が現れているそうです。

哲学対話では、博物館スタッフも「教える立場」で教壇に立つのではなく、子どもたちの輪に入って一緒に考えるとのこと。いわば子どもと同列の立場になるわけですね。対象は小学5年生と中学2年生だそうですが、中学生は授業が終わった後も自分たちで「問い」を出し合って、対話の続きを行う生徒もいるようです。

う〜ん、こんな教育もあるのだなあ…と感心してしまいました。

さて、こちらの館内には、思索を促すパネル展示があります。自分自身の考えに没頭できる場が提供されているだけでなく、持ち帰ることができるカードも多数設置。帰宅後も「思索のトレーニング」ができるわけですね。

かほく市共通道徳の哲学対話。ここで哲学に触れた子どもたちは、物事の本質を見て自分の力で考え、自分で答を導き出す力が身についていくのでしょう。それは、これからの社会では、きっと今よりも大切になっていくこと。そんな教育の核としてミュージアムが欠かせない存在となっているのであれば、とても素晴らしいことですよね。

特に「思索を巡らせる展示」は、必ずしも哲学がテーマの館でなくても応用できるはず。ある資料を題材に、みんながフラットな立場で考えを持ち寄れるようなイベントがあってもよいかもしれませんね。

 


石川県西田幾多郎記念哲学館
http://www.nishidatetsugakukan.org/