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わせだマンのよりみち日記

2019.07.18

「象のマーク」の深い歴史と、製品開発の凄さに感動 ~まほうびん記念館 訪問記

神秘的な空気を漂わせるガラスの器。すべてはここから始まった…と考えると、とても感慨深いものがありますね。


これは、英国の化学者・物理学者ジェイムズ・デュワーが1893年に考案したという、二重壁の内部を真空にした断熱容器。通称「デュワーびん」は、現代の魔法瓶の原型となりました。

この日お邪魔したのは、大阪市北区にある象印マホービン株式会社の本社1階、まほうびん記念館です。幸運なことに、なんと初代館長によるプライベート解説付きでの見学。本日の記事は、その場でメモした初代館長の解説がもとになっています。

いわゆる「真空」の状態は、17世紀、イタリアの物理学者エヴァンジェリスタ・トリチェリによって発見されました。熱には、対流・伝導・放射という3通りの伝わり方がある…というのは、学生時代に学びましたね。真空の中では対流と伝導は起きないので、あとは放射を防ぐことができれば、熱は完全に遮断できることになります。これを解決したのが、メッキ。こうして、魔法瓶の基本ができあがるわけですね。

真空の発見から約250年の時を経て、デュワーびんとして誕生した魔法瓶。製品化された当時は、テルモスびんと呼ばれていたそうです。テルモスとはドイツの企業名で、のちに英語読みの「サーモス」が商標化されたとのこと。なるほど、聞き覚えがあります。

当時の広告では、さっそく高い保温性がアピールされています。今で言うイメージキャラクターには南極や北極の探検家らが起用されていましたが、その中にはあのライト兄弟の名も。今では考えられない夢の人選ですね!


一方の日本では、もっとたおやかな展開だったようですね。元号が明治から大正へと変わる前年の1911年、伊藤喜商店(現在の株式会社イトーキ)が「まほうびん」としての広告を出しますが、逆に女性の写真が使われています。想定する使用場所は、過酷な大自然の中よりも、安らぎの家庭の中だったわけですね。

日本製の魔法瓶は、その後、日本の家庭よりも東南アジアでよく売れたそうです。その背景には、第一次大戦が始まり、東南アジア諸国が欧米列強の植民地となった世相がありました。高温多湿な現地の飲料水の質なども関係していたのでしょうね。

この時期に、日本製であることをひと目で伝えるマークが必要となりました。そこで生まれたのがあの有名な象のマーク、すなわち「象印」の誕生です。時は大正末期、現代にまで続く名ブランド「象印マホービン」の歴史が幕を開けた瞬間でした。


第二次大戦後は、魔法瓶の本当の活躍の場は「やはり家庭だ」との考えから、卓上ポットが発売されました。写真の左から2番目、銀色の魔法瓶です。頭部の形がペリカンのくちばしに似ていることから、のちに「ポットペリカン」と名づけられ、終戦3年後の昭和23年から31年まで販売されるロングセラー製品となりました。

そして、高度成長期へ。象印マホービンでは、専門のプロダクトデザイナーを起用し、スーパーポットS型をはじめデザイン性の高い商品を次々と送り出します。ちなみに、テレビ番組の単独提供を開始したのは、昭和35年だそうです。『象印スターものまね大合戦』や『象印クイズ ヒントでピント』など、あの象のマークは後に続く昭和のヒット番組の象徴でもありますよね。


そんな感じで、懐かしいものがたくさん登場するのですが、中でも個人的に印象的だったのが、エアーポット「押すだけ」です。持ち上げてお湯を注ぐものだったポットが、ボタンを押せばお湯が「出てくる」時代になったわけですから、当時はさぞ衝撃的だったのでは。筆者も、子どもの頃には自宅にありましたし、遊びに出かけた友だちの家でもよく見かけたような気がします。もちろん、栗原小巻さんと桂三枝(当時)さんのCMも、鮮明に覚えています。

その後に登場した「みぇ〜るポット」もインパクト十分。「押すだけ」と同様に、あとどのくらい残っているかが目に見えるという機能は、今の製品に受け継がれていますね。これも我が家にありました。

昭和56年にはステンレス魔法瓶「タフボーイ」が登場。昭和31年に登場したスーパーポットS型からこの「タフボーイ」まで、同じプロダクトデザイナーの方が手掛けたものというエピソードを知って驚きました。生活を便利に、豊かにするコンセプトを次々と確立してきた同社ですが、デザインの重要性にいち早く注目していたという事実も見逃せませんね。

魔法瓶のほかにも炊飯ジャーなど、誰しもきっと見覚えがある製品がズラリと並ぶ館内は、どこか温かな気持ちになる空間でのひととき。大人になって「なるほど」と声が出る謎解きのような場面も多く、実に楽しかったです。

なお、まほうびん記念館の見学は、予約制ですのでご注意を。立地もよいので、入館自由ならきっと人気が出ると思うのですが、元館長によれば「一人ひとりの方にしっかり説明した方が、最終的には多くの人に伝わる」という想いを大切にしておられるとのこと。本当に勉強になる1日でした。

 


まほうびん記念館 https://www.zojirushi.co.jp/corp/kinenkan/index.html