2024.09.10
併設のカフェレストランで学んだこと 〜奥津国道美術館訪問記
#ミュージアム探訪#私的考察今から35年も前の話です。今より確実に30キロは体重が軽かった私は、大きなリュックサックを背負っても今よりずっと軽やかな足取りで、スペイン南部を旅していました。コルドバという街の河川敷でスケッチブックを広げて橋の絵を描いていると、不意に日本語で話しかけられました。
「君、日本から来たの? 僕も絵を描くんだよ」
優し気な笑顔の日本人男性は、何と画家の奥津国道先生でした。絵を描く方なら、NHKなどのテレビ番組や『水彩画 プロの裏技』という著書でご存じの方もおられるかもしれません。その場で意気投合したのですが、貧乏旅行中だった私は宿泊先や食事まですっかりお世話になってしまい、そのまま4~5日かけて大西洋岸のカディスという街までお供させていただきました。絵のこと、旅のことをいろいろと教わりながらの道中は本当に充実した時間となり、今でも深く感謝しています。
帰国後すぐ、私は大学を卒業して銀行に入行します。あっという間に20年近くが経って現在の仕事を始めたころ、家族と出かけたデパートで一冊のカレンダーを見かけました。見た瞬間に「奥津先生の絵だ!」と急に記憶が蘇り、すぐにアトリエの住所を調べてお手紙を書いたところ、わざわざ会社にお電話をくださりました。「あのときの君か!」というお声の、何とお懐かしいこと。改めてお礼を伝え、アトリエにもお招きいただきましたが、その後は多忙からお目にかかる機会に恵まれず、年賀状もいつしか途絶えます。
さらに年月が過ぎ、先生のご出身地である神奈川県秦野市に「奥津国道美術館」が開館します。このたび出張の合間に出かけたのですが、先生の作品の実物を観るのはアトリエにお邪魔して以来、約15年ぶりのこと。そして、館にあった年譜で、先生は平成28年にご逝去されていたことを知りました。
美術館は秦野市の山の手にあり、森の中の瀟洒な邸宅という趣。木漏れ日が差し込むリビング空間に、先生の絵がたくさんかかっています。当日はお昼時だったこともあり、併設のカフェレストランが大変な賑わいに。先生の作品をたっぷり鑑賞した後に私もいただいてきましたが、素人目にも手間をかけて調理していることが分かるおいしいランチ。最近はリモートワークの環境が整った代わりに休日も仕事から離れられなくなった私は、洗練と温かみが同居するお店の雰囲気の中、久しぶりに仕事脳を完全にオフにすることができました。
仕事と言えば、最近は博物館法改正の影響か、多数のミュージアムからデジタルアーカイブについてのご相談をいただきます。システム構築やデータ公開の具体的な方法はもちろん、人手不足の中での紙の台帳の整理法や補助金の効率的な使い方、さらには事業計画づくり全体まで、お客様と一緒に悩む毎日を過ごしています。誰にどうやって館の魅力を伝えるのか、何を測定指標として、どんな成果が得られるのか…。今やミュージアムにもビジネスセンスが求められる時代なのだと痛感します。
そんな日々の中で訪れた奥津国道美術館のカフェレストランでは、お越しになる方々へのおもてなしに全力投球されているスタッフの皆様に感銘を受けました。お客様の多くはご婦人のグループや初老のご夫婦で、地元の常連さんでしょうか。カフェの談笑を見守るように美術館で微笑む奥津先生の写真、温かみにあふれた作品たち。この一体感のある空間に、事業計画やロジックモデルに頭を悩ませていた私もすっかりリラックスしてしまいました。
前回の投稿では、米ニューヨークタイムズの「行くべき52カ所」で2023年に盛岡市が、2024年には山口市が紹介されたという話に触れました。推薦したアメリカ人は、過疎化が進む日本の地方では昔ながらの喫茶店が地域のコミュニティを支えていると指摘しています。奥津国道美術館は、まさにその役割を果たしていました。快適なカフェに加えて月1回のペースでコンサートも開かれ、さまざまな人々が集まる場所。その穏やかさは、異国の地でご一緒させていただいた奥津先生のお人柄そのままです。
ミュージアムにとってデジタル化は急務ですが、その前に考えるべきことがある。初対面の学生にも気さくに接し、何でも惜しみなく答えてくださった奥津先生から、また大切なことを教えていただいた気分でした。15年ぶりにお目にかかり、35年ぶりにご指導いただいた特別な日。会計に立つ時、美術館の写真で目に焼き付けた先生の笑顔に、心の中で何度もお礼を申し上げました。
若い私がうまく表現できず、慌ただしい中での再会でも伝え切れなかった、万感の想いを込めて。
奥津国道美術館 https://092-810.localinfo.jp/