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わせだマンのよりみち日記

2019.12.23

憧れの「公益の企業家」に想いを馳せて ~大原美術館見学記

たくさんの観光客で賑わう、倉敷の美観地区。今回は、この人気の地域の中心的存在であり、日本初の西洋美術中心の私立美術館としても知られる大原美術館にやってきました。

訪ねたのは金曜日の夕方で、しかも出張ウィークの最終日。充実した作品をたっぷりと楽しもう…と完全に業務終了モードで到着しました。すると、迎えてくださった副館長に「作品の前にこちらをご覧になりませんか」と促されたのが『有隣荘』です。

写真は、美術館から見て橋の反対側を写したものです。左側の建物は、大原美術館の創設者・大原孫三郎の本宅『旧大原家住宅』。国指定重要文化財です。そして、大原孫三郎と言えば、企業経営の巨人でありながら地域社会の基盤を築いた「公益の人」としても知られる、日本を代表する実業家の一人。小さな企業を経営している私としては、まさに憧れの人物です。

さて、右側の建物が、その孫三郎が病気がちの奥様のために建てたという別邸、有隣荘です。実は、作品より先にこちらを見学するという副館長のご提案は「大正解」だったのですが、この時点では知る由もありません。

有隣荘は、春と秋の年2回、展覧会の会場として使われる時以外は非公開となっているそうです。この日は、幸運なことに公開日。和洋折衷という言葉でも表現し切れないほど東西文化が見事に溶け合う邸内の見学は、御影石の暖炉と柔らかな陽光が差し込む温室がある洋間から始まります。とても落ち着いたアールデコ調の内装は、つい最近まで人が暮らしていたのではないかと思わせるような質感。当時の人々姿がARのように浮かんできそうな錯覚を覚えました。

その奥には和室があります。一般的な部屋の1.5倍以上はありそうな天井高と、秋の陽射しが注ぎ込む開放的なガラス戸によって、とにかく広々と感じます。ガラスの向こうには、これまた美しい日本庭園が。上質で穏やかな暮らしが約束されたような空間が展開されていました。

屋久杉の欄間には、大原美術館の礎を築いた洋画家・児島虎次郎がデザインした龍が。これは、辰年生まれの孫三郎にちなんだものだそうです。虎次郎については、後ほど。

2階に上がると、こちらも和室。庭越しに美観地区を望む贅沢な空間です。1階部分の天井が高く取られている分、2階からの眺めのよさがさらに強調される形に。なお、有隣荘は昭和3年に完成し、昭和10年以降は迎賓館として活用されたそうですが、昭和天皇をはじめ数多くの賓客が滞在したのだとか。この景色をご覧になったと思うと、実に感慨深いですね。

こうして見て回るうちに、孫三郎の人物像も徐々に輪郭が見え始めてきます。続いては、「旧大原家住宅」で、もう少し深く氏と大原家を学びましょう。

邸内に入ってすぐの土間には、大原家の4代目から8代目が遺したという言葉が宙に浮かんで見えます。もちろん、企業経営者なら必見の金言もズラリ。「十人のうち七人も八人も賛成するようなら、もうやらない方がいい」など、思わずドキッとしそうな鋭すぎる指摘もあったりして…。

ちなみに、孫三郎は7代目にあたります。東の渋沢栄一と並び称される、実業家にとっては雲の上の存在。ビジネスに関係ない言葉も含めて、いやはや、とにかく身に染み入ります…。

ここで、孫三郎の偉業について、軽くおさらいしてみます。明治13年(1883年)、倉敷紡績(クラボウ)を営む大原孝四郎の三男として生まれた彼は、父から事業を継ぐ形で同社及び倉敷銀行などの発展に尽力します。その一方では岡山孤児院の援助に乗り出し、さらには倉敷日曜講演の開催を支えるなどの社会貢献活動も熱心に展開。3つの研究施設や倉敷中央病院の創設、倉敷絹織(現・クラレ)の設立、そしてこの大原美術館の創設…などなど、ほとんど超人的とも思える活躍で一大財閥へと育て上げます。

孫三郎を讃える際にはほぼ必ず公益の視点も語られますが、旧大原家住宅は一般公開に伴い、『語らい座 大原本邸』と呼ばれるようになりました。重要文化財でありながら、未来を語り、学び合い、新たな発想を得る場を目指すという公共性は、孫三郎の理念そのものといった趣。「語らい座」のコンセプトは、まさに大原家の精神の継承を表しているわけです。

 

「広く社会に意義あることを」

 

そんな理念のもと、八面六臂の大活躍を見せていた大原孫三郎。数々の事業に打ち込む傍ら、親友の洋画家、前述の児島虎次郎に作品選びを託す形で、西洋近代絵画を収集します。ところが、相棒の虎次郎が47歳という若さで他界。孫三郎は、彼が尽力したコレクションとともに、虎次郎自身の作品を所蔵するミュージアムを構想します。

こうして、昭和5年に設立されたのが、この大原美術館です。稀代の実業家の情熱によって集められたのは、果たしてどんな作品たちなのでしょうか。孫三郎の業績や人生観などを体感的に確認した直後の鑑賞ということで、少し膝が震えそうな思いでした。

まずは、盟友・児島虎次郎の作品。画面いっぱいに広がる朝顔に、浴衣姿の女性が水をやる夏の日のシーンが描かれています。優しい陽光に包まれたような作品で、まるで私自身が絵の中の女性を見守るような没入感を覚えました。誇張ではなく、本当に何十秒も身体がフリーズしてしまうほど、不思議な気分に包まれた作品。西洋画の技法で日本的なモチーフを描いた虎次郎の1枚は、名作揃いの館内でもひときわ輝いて見えました。

クロード・モネの『睡蓮』も、ゆっくり、じっくり鑑賞です。日本でも人気の高い作品ですが、実はこの『睡蓮』は児島虎次郎がフランス・ジヴェルニーのモネの家を訪ね、直接会って買い付けたのだとか。このすごいエピソードを先ほどの朝顔の絵と並べると、孫三郎と虎次郎が何を目指していたのか、朧げながら見えてくるような気がしますね。

これは経営者仲間にも知らせたいな…と考えながら、こちらも有名な『受胎告知』の前に立ちます。

(画像:Wikimedia Commons)

聖母マリアがキリストを身籠ることを天使ガブリエルが伝えに来る…。「受胎告知」そのものは、レオナルド・ダ・ヴィンチをはじめとする多くの画家が描いたテーマですね。

「日本にあることが奇跡」と言われているこの作品には専用室(?)が与えられ、ただ1点だけ、静かに置かれていました。暗い室内に浮かび上がるようにも見えるこの素晴らしい展示は、お世辞にも信心深いとは言えない私ですら、思わず祈りを捧げたくなるような迫力。まさに神秘的な空間でした。

ひとつひとつを紹介すると、キリがありません。セザンヌにゴーギャン、ピカソにルソーと、圧倒されるような充実のコレクション群が展示されていますので、ぜひ実際に足をお運びいただくとして、ここでは分館に移動します。

建物や庭のたたずまいから、本館との「時代」の違いが一目瞭然。こちらは、近代から現代にかけての日本を代表する作家の絵画や彫刻が揃います。

個人的に目を引かれたのは、岸田劉生の『童女舞姿』。娘の麗子さんを描いたこの作品、美術の教科書で見た記憶がおありの方も多いはずです。愛娘と来れば「輝くような笑顔を描きたい」というのが親心だと思うのですが、どういうわけか無表情。でもそれこそが不思議な引力を発散していることに気付くのですから、ミュージアムは楽しいんですよね。

このほか、熊谷守一や草間彌生らの作品がコレクションされています。別館も、本館に勝るとも劣らない壮観さなのですが、さらに後が控えているのがこちらのミュージアムの凄いところ。工芸館、東洋館と続くのですから、まだまだ楽しみコンティニュー…などと思っていたら、何と閉館の時刻が間近に。あっという間に時間が過ぎてしまったことに気付き、通り抜けるだけとなってしまいました…。

最後が何とも締まらない形となってしまいましたが、それでも満足感たっぷり。とは言え、次回の訪問では、さらにゆとりの日程を組まなければなりません。

*   *   *   *   *

日本の企業家として十指に入る大原孫三郎が、地元社会への貢献を掲げて生み出した美術館は、2020年で90周年。100周年に向けて、最後の10年へと突入します。今回は、別邸・邸宅・本館・分館と見学してきましたが、そこには偉人ご本人はもちろんのこと、それを継ぐ方々を含めた「人の思い」を感じずにはいられませんでした。

芸術文化を支援するという強い意志は、今も色濃く受け継がれています。こちらでは、『ARKO(Artist in Residence Kurashiki, Ohara) 』というアーティスト・イン・レジデンス・プログラムを実施中。また、若手アーティストの登竜門である『VOCA(Vision of Contemporary Art)展』では、大原美術館賞を設定し、受賞作を購入しておられるそうです。いずれも2005年からの取り組みで、分館の地下フロアで確認できます。

館を出て、もう一度見渡した美観地区の街並み。百年経っても朽ちない財産を築いた大原家、そして地域の方々に、心の中で一礼です。

帰京後、スマホで撮った写真を参考に美観地区の様子を描いてみましたが、ちょっと心もとない出来栄えに。でも、いいのです。今回見逃してしまった工芸館と東洋館の見学で再訪する際は、もっと上手く描けるようになっているから…と言い訳する私でした。