ミュージアムインタビュー

vol.123取材年月:2016年12月舞鶴引揚記念館

資料の中に眠る願いや想いを遺すために、
ストーリーまでデータベース化していきたいですね。
学芸員 長嶺 睦 さん

-シベリア抑留や引き揚げに関する膨大な資料を所蔵されているということですが、具体的にはどんなものが多いのでしょうか?

長嶺さん:生活用品や写真、書籍、絵画などですね。絵画は引き揚げて来られた方の回想画です。全部で16,000点ほどあって、ほとんどが寄贈資料です。

-システムを導入されたのは3年近く前ですが、それ以前はどのように管理されていたんですか?

長嶺さん:既存のソフトで台帳を作っていました。分野ごとに別のファイルになっていたのですが、寄贈者の方のお名前で探すことが多いので、毎回いくつものファイルを検索していました。

-それは大変な作業ですね。受け入れの経緯からして、一人の方の資料がたくさんの分野にまたがりそうですし。

長嶺さん:そうなんですよ。でも、もっと困ることもありまして。

-どんなことでしょう?

長嶺さん:資料の目録だけならいいのですが、当館の場合、その資料のバックグラウンドにまつわる情報が重要なんです。

-それが何に使われたのか…とか?

長嶺さん:ええ。たとえば衣類なら、まったく同じ服でも、着用された方によってストーリーが異なりますよね。破れていたら、それは指で引っかけたものなのか、銃弾がかすめた跡なのか…と。

-なるほど…。確かに、扱いにくかったでしょうね。

長嶺さん:受け入れの際にそうしたお話をできるだけ伺うようにして、お話が聞けた時はできる限り文書に残していましてね。備考欄に入力するしかありませんでしたが、システムなら専用欄を用意できて、そのまま情報を共有することも可能になりますし。

-逆に、今までよく管理してこられましたね。頭が下がります。

-今日は悪天候ですが、来館者の方々で賑わっていますよね。やはりユネスコ世界記憶遺産への登録の効果でしょうか。

長嶺さん:今日はむしろ天候が悪くて少ない方なんですよ。登録直後から連日大混雑でした。

-それは喜ばしいことですね。

長嶺さん:当館は、もともとシベリア抑留体験者や引揚者の方々が寄付を集めて、舞鶴市に建設を依頼したことから始まった記念館なんです。開館した昭和63年頃は、実際に抑留された体験者の方々の来館も多かったのですが、高齢化で世間の関心が薄まって。

-記憶を遺すことが、まさに「館の使命」ですよね。

長嶺さん:そうですね。指定管理者制度から直営にして、博物館として活動を強化していくことになったんです。

-なるほど。記憶遺産を目指す動きとも連動していたのでしょうね。

長嶺さん:仰る通りです。システム導入の最大の理由も、資料のデジタル化でした。先ほどお話しした管理上の問題とともに、情報発信も重要なテーマでしたから。

-館内端末でデータベースをいち早く公開されたことからも、重責が伝わってきます。その分、導入のご検討も大変だったでしょう?

長嶺さん:ええ、クラウド型か個別導入型かという点は、とても悩みました。クラウドはサーバのメンテナンスが要らなくて安価ですが、手元にデータがないという点をどう考えるか、と。実際に導入されている館の方々にお話を伺って回りました。

-最終的にクラウド型をお選びになったわけですが、導入されてみてのご感想はいかがですか?

長嶺さん:ブラウザを立ち上げてパスワードを入れるステップが増えましたが、あとは問題ないですね。寄贈者のお名前を検索欄に入力すれば、各分野の資料がパッと探せますから、企画展を考える時などにもとても役立っています。

-ほかに気になるところは?

長嶺さん:特にないですが…そう言えば、フルネームで検索した時、あるはずのものが出てこないということがあったかな。多分、検索の仕方の問題なのでしょうけど。

-確かに、検索方法によっては少々コツがいる場合もありますので、今後、サポートさせていただきますね。ところで、館内での公開の状況はいかがでしょうか?

長嶺さん:実際にご覧になりますか?

-はい、お願いします。

長嶺さん:(展示室に移動して)ご覧の通り、コンテンツの一部として、データベースの検索ページを使わせていただいています。

-なるほど、使いやすそうですね。

長嶺さん:お陰様で。ただ、タッチパネルなので、皆さん指で広げて画像を拡大しようとされるんです。全体の仕様の関係で、そういう操作ができないようになってまして。たとえばこの資料なんか、拡大しないと見づらいですよね…。

-(試しながら)確かに。でも、指で広げて拡大できない場合は、拡大画像を表示することもできますよ。

長嶺さん:え、そうだったんですか。

-ええ、公開設定で拡大ボタンの利用をON/OFFできるようになっていまして。弊社のご説明不足ですね、大変申し訳ございませんでした。操作については、改めてサポートに伺いますね。

-では、今後の目標をお聞かせください。

長嶺さん:まずは、先ほどお話しした、「ストーリーのレベル」でのデータの充実でしょうか。たとえば、収蔵資料の中に花札がありますが、これは抑留された人たちが現地で作ったものでしてね。

-極限状態の中で…。材料などはどうされていたんでしょう。絵具とかも。

長嶺さん:資材を運ぶ段ボールを材料にしたようですよ。あと、当時のソ連では壁に指導者の肖像などを描かせることが多かったようですね。食べるものも満足にない、毎日人が亡くなっていくような状況の中で、なぜそういうものを作ったのか。そういった物語を遺していきたいですね。

-本当に大事なことですよね…。

長嶺さん:ええ。館の成り立ちにも、資料の内容にも人々の想いと願いが詰まっていますから、資料だけでなく「事実としての物語を遺す」ことの重要性は、日々感じています。

-インターネットでの公開はいかがでしょう。

長嶺さん:そこは、ユネスコ世界記憶遺産登録の条件の中に、どんな形でもよいので、広く、たくさんの人が見られるよう環境を整えてください、ということがありまして。

-公開する時は、多言語化が必須ですよね。

長嶺さん:ええ。英語にロシア語、それに台湾から来館される方が多いですから、中国語への対応も。台湾では、二葉百合子さんの「岸壁の母」がヒットしたことから、当館を「岸壁の母記念館」と呼ばれることもあるとのことで。

-ニックネームにもストーリーがあるのですね…。

長嶺さん:そうですね。そうして語り継がれるのは、嬉しいことです。

-以前、ウズベキスタンでは子どもたちに「日本人のようになりなさい」と教育していると聞いたことがあります。首都のタシケントにあるナヴォイ劇場は、抑留された方々が建設されたもので、戦後の大地震で他の建物が倒壊しても立派に建っていたそうで。モノにまつわるストーリーって、やはり大切ですね。

長嶺さん:仰る通りです。私たちも頑張りますよ。

-弊社も心してお手伝いさせていただきます。本日はありがとうございました。

 

<取材年月:2016年12月>
Museum Profile
舞鶴引揚記念館 昭和63年、舞鶴市民や引揚者の方々の強い願いがかなって開館した博物館。シベリア抑留の収容施設の模型や、家族とのやり取りが心の支えになった捕虜郵便葉書。帰還を待つ女性や子どもたち、そして「岸壁の母」のモデル・端野いせさんの姿。私たち日本人が経験した厳しい時代、それでも強く生きた人々の記録が、ここにあります。ユネスコの世界記憶遺産に登録されて海外からの来館者も増え、その役割がますます高まるミュージアムです。
ホームページ : https://m-hikiage-museum.jp/about-us.html
625-0133 京都府舞鶴市平1584番地
TEL:0773-68-0836