代表ブログ

わせだマンのよりみち日記

2022.09.27

数百年の時空を超えて復活した超絶技巧 ~芦屋釜の里 訪問記

#現地訪問

今回お邪魔したのは、福岡県北部の芦屋町にある『芦屋釜の里』です。南北朝時代から江戸時代初期にかけて、現在の同町中ノ浜地区付近で盛んに製造されていたという芦屋釜。端正な形と優美な文様で長く絶大な人気を誇ったとのことで、国指定重要文化財に指定されている茶の湯釜9点のうち8点を占めているそうです。これだけでも、その芸術性や技術力がいかに高く評価されているかが伝わってきますね。
打ち合わせの後に展示を見学させていただく段取りを組んだ今回の訪問。恥ずかしながら、芦屋釜の世界にふれるのは初めてですので、個人的にも興味津々です。というわけで、現地に到着していきなり目に飛び込んできた風景で、期待感がさらにアップ。う〜ん、絵になりますね!


ちなみに、茶釜とは、鋳鉄製の湯沸し釜のこと。茶道の写真や動画を思い浮かべれば、ピンと来る方も多いのではないでしょうか。室町時代には一世を風靡しながらも、その系譜が江戸時代に途絶えてしまった芦屋釜は、現代では「幻の茶釜」ということになりますね。ところが、こちらの施設では製作技術の復元と継承に向けた復興事業に取り組んでいるとのこと。展示とともに、こちらのお話も楽しみです。
さて、訪問目的の打ち合わせも無事に終わりましたので、展示室へ。幸運なことに、今回もスタッフの方の案内付きでした。

何はともあれ、まずは実物の鑑賞から。「茶室の主」とも呼ばれる茶釜ですが、その中でも、茶道がまだ茶の湯と呼ばれた時代から最上級品とされてきたという名品中の名品。ケースの周囲が鈍いオーラに包まれているように感じて思わずたじろぎます。
特徴は、まず「真形(しんなり)」と呼ばれる独特の形状とのこと。その堂々たる佇まいに気圧されるしかありませんが、目が慣れてくると、もうひとつの特徴である胴部の美しい文様を味わう余裕が出てきます。たとえば、次の写真の釜は、小さく丸い突起で全体が覆われていますね。整然と並んで凄いなあ、と単純に感心していたのですが、解説を聞いて耳を疑いました。というのも、本体の上から下まで、外周一周に付されている突起の数が同一だというのです。
でも、外周なら中ほどが一番長く、上部に行くにつれて短くなりますよね。それでも数が同じということは、それぞれに突起の間隔が異なっているはずです。ひとつの外周に置かれた突起の間隔は均等で、上部に向かって少しずつその幅を狭めて数を揃えるなんて、生身の人間にできるのでしょうか。

展示ケースの中に目を凝らしても、まだ半信半疑。突起が小さくて、うまく数えられないのです。そこで、スマホで撮らせていただいた写真をグーっと拡大してみると…思わず「うわっ、ホントだ」と声が出ました。お分かりになりますでしょうか、確かに大きさと間隔が違います!

続いての写真です。左の作品には、鶏の絵が描かれていますね。右の作品にも精巧な図柄が浮かんでいます。その上で、左下に写っている解説の右端にご覧ください。この2点、そして実は外周の突起を数えた上の作品も、実は「現代」に作られたものなのです。

これらの芦屋釜は、前述の復興事業の成果。スタッフの方によれば、平成元年の「ふるさと創生事業」が大きな機会となったそうです。平成7年に開園したここ『芦屋釜の里』では、全国に残る芦屋釜を追跡調査し、往時の技法の復元及び鋳物師の養成に取り組んできたとのこと。写真の釜は、この事業に応募して芦屋釜の職人への道を踏み出した方々の作品だったのですね。
軽く感動しつつ、今回の見学の「真打ち」の前に立ちます。こちらは正真正銘の室町中期の作品、『芦屋霰地真形釜(あしやあられじしんなりがま)』です。こちらはうまく撮影できなかったので、あとでスタッフの方に送っていただいた写真を拝借しました。

この全体を覆う特徴的な丸い突起は「霰文(あられもん)」と呼ばれているそうです。その文様としての美しさから、当時の京の貴人たちの間で人気を博し、将軍家にも多数の芦屋釜が献上された記録が残っているとか。先ほど鑑賞した現代の作品を改めて見ると、一度途絶した技術がしっかりと伝承されていることがよく分かりますね。
室町の技術が今日に復活したのも驚きですが、この人間わざとは思えないほど凄まじい技巧が凝らされた文様がどう作られているのか、とても気になります。ということで、その製造工程についても詳しくお聞きしましたので、簡単にご紹介します。
まず全体の突起の数を決めたら、軍配を真ん中から縦に割ったような形の「挽板(ひきいた)」を作ります。次に、外型の中心に挽板の軸を据えて、内部に鋳物土を塗り付け、挽板を中で回して基本的な形を整えます。そして、あの驚異の霰文を作る「箆押し(へらおし)」へ。こちらについても、作業中の写真を送っていただいたのですが…。

見た瞬間に「無理むりムリ、これは絶対に無理」とギブアップ。最終的な作品の外周にいくつあるのかを数えることさえ困難なあの霰文は、ひとつひとつ、文字通りの手作業で作られているのですね。これ、文字通り気の遠くなるような仕事だと思うのですが、ひとつでもズレたらどうするのでしょう…。
次の工程も凄いです。内型の挽板を回転させ、土を塗り付けて内型を作ります。外型と内型を組み合わせたわずかの隙間に金属を流し込みます。完成した芦屋釜は、厚さにしてわずか2〜3ミリの世界とか。見た目はあの重厚感ですが、実は意外に軽いのですね。

この写真も送っていただいたもので、施設内に開設されている「復興工房」での作業風景です。最後の金属を流し込むところのものでしょうか。
こうして詳しくうかがうほど、数行のテキストブロックにまとめることが申し訳なくなります。と言うのも、修業期間となる職人養成課程は、何と16年間にも及ぶとのこと。もはや人生を捧げるレベルですが、すでに職人さんを2名も輩出しているのですから、これはもう芦屋釜のリスタートと言ってよいのではないでしょうか。
復活のきっかけとなったという「ふるさと創生事業」は、当時、世間でも話題となりました。使途に対する批判的な報道が少なくなかったように記憶していますが、あれから30年あまりを経た今、こうして大輪の花を咲かせる事例を生んでいるのですね。
実物の迫力に圧倒され、サイドストーリーにも胸を熱くした、この日の見学。日本の職人文化の底力を見る思いでした。なお、全国から鋳物師の後継者候補を募る事業は、今も続いています。


【取材協力】
芦屋町芦屋釜・歴史文化課 芦屋釜の里・歴史の里係
新郷 英弘さん
吉永 香保里さん
https://www.town.ashiya.lg.jp/site/ashiyagama/