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わせだマンのよりみち日記

2022.11.30

茶人が願った「文化国家」の風景 ~金沢市立中村記念美術館 訪問記

#現地訪問

本日お邪魔したのは、金沢市立中村記念美術館です。街なかの美術館なのですが、まず目に飛び込んできたこちらの建物は、本多公園の敷地の中に静かに佇む付属施設、旧中村邸。素人目にも美しく、堂々たる外観ながら、人を寄せ付けないような雰囲気はありません。むしろ気軽に出入りする光景が思い浮かぶような生活感も残していて、泊まってみたくなります。

この建物は、金沢市指定の保存建造物で、昭和41年から平成元年までは中村記念美術館の本館として使われていました。現在の美術館建物は、旧館からバトンを受ける形で、市制百周年記念事業として新館開館したもの。敷地内には、ほかに中村家から寄贈を受けた茶室「耕雲庵」も移築されています。

さて、訪問目的の打ち合わせは、無事に終了。その後は、特別展「小堀遠州と金沢」(12月18日まで開催中)を見学させていただきました。展示室内には、幕府の作事奉行をつとめ、茶人でもあった小堀遠州にまつわる茶道具類が多数。恥ずかしながら茶道はまったくの門外漢なのですが、心強いことに、今回も学芸員の案内付き。やはり解説付きの鑑賞は最高のひととき、ありがたい限りです。

特別な知識を有しない状態での展覧会体験は、展示ガイドの有無によって、過ごす時間の濃さ・深さがまったく違ってきます。それを痛感したのが、まずこちらの展示。「赤茶碗 銘 手枕」という作品ですが、その横に箱の蓋らしきものが3つ並んでいます。

「作品自体は当然ですが、実はこの箱も重要で、大切に保存しなければならないんですよ。なぜだかお分かりですか?」

作品の保存上、箱が大切なのは分かります。また、写真の蓋の裏側には文字が書かれていますので、何らかの情報が記されているのでしょう。さて、何が書かれているのだろう…。解説によれば、実はこれらから「所有者の変遷や箱書の筆者の情報」が分かるのだそうです。

最初に所蔵した人が作品をきれいに収める箱を作って、蓋の裏側に作品の由来などを記載します。ここでは、「千利休が古渓和尚に献上した茶碗だ」と記載されているそうです。これを誰かに譲った場合、次の所有者は、前所有者が作った箱ごと収納するために、ひと回り大きな箱を作ります。写真の作品では、2番目の蓋に「利休が所持していた長次郎の茶碗を古渓和尚に贈ったもので、箱の書付は天倫和尚の筆である」旨が書かれました。次の所有者も同様で、さらに大きな箱を作りました。蓋の裏には、「手枕」という文字が。ここで、作品に名前が付けられたことが分かるわけです…なるほど。

茶の湯の道具は、このように実際の作品のサイズより大きな箱に入っていることが多く、マトリョーシカのように3回も4回も開けてやっと作品が登場することが少なくないとのこと。言ってみれば、蓋の裏は不動産の登記簿のような役割も果たしているのですね。

続いての写真。左は竹の花入れで、右の蒔絵の硯箱。こちらも、茶道具とのこと…ん? 硯箱? 書の道具がなぜ茶の道具として扱われているのでしょう? 一般的に、広間の茶室には書院が備わっています。書院とは元々、書を読んだり書いたりする場所なので、茶会ではそこに文房具を飾ることが多く見られます。また、一首ひらめいた時にすぐに書けるように、茶会に硯箱が必需品だったのですね。

こちらは、「青井戸茶碗 銘 雲井」と名付けられた16世紀の作品です。枇杷色の肌が美しいですね。
学芸員の解説によれば、もうひとつ、梅華皮(かいらぎ)も見どころとのこと。梅華皮とは釉薬が鮫肌状に縮れたもので、井戸茶碗では腰部や高台脇に見られるのが約束事のようになっていたそうです。写真では、肝心のその部分が陰になってしまっていますね。すみません…。

鑑賞しながら、当時の茶会の様子についての解説に耳を傾けます。茶を喫み、歌を詠んで、掛け軸や器を愛でて…。亭主(茶会の主催者)は準備から当日のお点前、道具の説明などすべてを取り仕切りつつ、メインゲストである正客と問答しながら会を進めます。したがって、亭主には花や掛け軸、焼き物などの知識も求められるのです。現在も茶の湯は実に知的な愉しみですが、当時の人々には高度な総合エンタメだったのかも知れませんね。

写真左の茶釜は、キャプションに「乙御前釜 初代宮﨑寒雉」と書かれていました。初代ということは、その後、代々続いているわけですね。現在は何と15代目で、今も作品を作り続けておられるそうです。遠いご先祖の作が現存していて、それに連なる自作を製作するって、すごいことですよね。

その初代は、加賀藩主・前田利常の御用釜師となった、侘びの趣の強い数々の名品を作り出した名工とのこと。前回のこのブログでご紹介した芦屋釜はきめ細かな幾何学的な文様が印象的でしたが、こちらはやや荒々しく自然な風合いの窯肌が特徴。350年も受け継がれ、これからも続いていくなんて、まさに時空を超えた伝統。素晴らしいです。

写真右は、銅製の花入れです。先ほどの茶碗と同じく、箱の蓋が展示されていました。前田利家の妻・まつが建てた寺院である大徳寺塔頭(たっちゅう)芳春院に、本阿弥光悦が寄付したものだとか。情報があるとないとでは大違い、やはり箱は大事なのです。

ゆったりと焼き物を眺める贅沢。知的な満腹感とともに外に出ると、この風景。いかがですか、この落ち着いた佇まい、美しく色づく豊かな森。

前身である中村記念館を開館した中村栄俊氏は、酒造業を営む実業家である傍ら、茶人でもありました。終戦後、日本は文化国家として歩むべきとの考えから、広く作品を収集したそうです。ご本人は昭和53年に70歳で亡くなっていますが、記念館は金沢市立の美術館へと発展し、開館時に124点だったという作品も今や1,200点を越える規模に。

美術館と旧中村邸が向かい合う、静かで穏やかな場所。その周囲には、県立美術館や県立歴史博物館、さらには移転してきたばかりの国立工芸館が集積。創設者の想いは、日本有数の文化エリアとなって、見事に花開いています。

 


 

【取材協力】
金沢市立中村記念美術館 齋藤 直子さん
https://www.kanazawa-museum.jp/nakamura/