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わせだマンのよりみち日記

2024.01.16

近代経済を切り開いた「信用を興す所」~帝国データバンク史料館訪問記

#現地訪問

興信所は「信用を興す所」と書きます。ご承知の通り、ビジネス社会では「信用を興すこと」はとても大切。一般に企業としての取引は一個人の買い物よりもはるかに高額なお金が動くため、財布の中の現金だけでは立ち行かず「お金は後で払います」となるケースが多くならざるを得ないからです。売る側としては「この人の言うことを信じてよいのか」と心配するところですが、この時に「大丈夫、この人は約束を守ってくれる」と確信できるなら、それはまさに信用に足る相手と見做していることにほかなりません。

互いに顔見知りならともかく、これが初めての取引ならどうでしょう。相手の信頼度は未知数ですが、「この人は支払い能力も取引のマナーもきちんとした人ですよ」という文字通りの太鼓判がおされていれば、安心して売ることができるので売上も伸びます。これが「信用を興す」ということで、より大きな金額の取引を可能にする仕組みです。

上記の興信所とは、探偵事務所でなく信用調査会社のこと。このサービスを考え出した人物は、近代経済の発展にとてつもなく大きな貢献を果たした偉人と捉えてよいでしょう。この日に訪れた帝国データバンク史料館の福田美波さんに展示をご案内いただき、銀行員時代のあれこれを思い出しながら、そのことを強く確信しました。

世界で一番古く確認される信用調査会社は、産業革命で経済が急成長した英国で1810年に設立されたペリー社とされています。日本では1892年、元日本銀行大阪支店長の外山脩造が大阪に設立した商業興信所が最初とか。福田さんの解説によれば、この方は何とあの阪神電鉄の初代社長でもありました。しかも、自身の幼名が「寅太」だったことから、昨年「アレ」を果たした阪神タイガースの名付け親と言われているのだそうです。甲子園球場のそばで生まれ育った私は、いきなりテンションMAXです。

大阪の商業興信所に遅れること4年、東京にできた信用調査会社は、あの渋沢栄一による東京興信所。銀行や手形交換所など、近代産業勃興期のインフラづくりに深く関わってきた彼が信用調査の仕組みに着目したのは、ごく自然な流れのように思えます。この2社は半官半民という側面がありましたが、その後は社会のニーズに後押しされる形で民間の信用調査会社が続々と誕生。そのひとつが帝国データバンクの前身となる帝国興信所で、1900年に後藤武夫の手で創立されました。

というわけで、史料館の展示は、まず創業者の部屋から始まります。活力と使命感に充ち満ちた明治の経営者の執務室。眺めるだけで高揚感に包まれるような気がします。

外山脩造の商業興信所と渋沢栄一の東京興信所は提携を結び、活動拠点のエリア分けを実施しました。一方、後藤武夫の帝国興信所は自社で全国をカバーし、顧客や会員を増やしていきます。下の写真は、当時の様子を説明するパネルです。

興信所のビジネスは、出版事業が大きな柱となっていきます。個人の資産などを調査した「信用録」、企業の信用を調査した「会社要録」、個人の身元や経歴を調査した「人事興信録」「紳士録」、そして経済雑誌。販売収入のほか、広告料も大きな収益源となります。(帝国興信所の発行は「信用録」と「会社要録」のみ)

パネルには「全国金満家大番附」と書かれています。平たく言うと日本のお金持ちランキング、いわゆる長者番付のようなものでしょうか。上記の一連の出版物はいずれも信用情報の大辞典であるわけですが、私が社会人になって間もない頃の記憶では、「紳士録」には確か銀行の支店長クラスの方々のお名前も載っていたような。もう35年ほど前のことですが、そんなに大昔の話でもありませんね。

帝国興信所は子会社として日本魂社を設立し、会員雑誌『日本魂(にっぽんこん)』を創刊します。注目したいのは、文書部から配属された若き雑誌記者。彼こそが、後に文壇へと躍り出る山本周五郎その人です。実は勤務不良で日本魂社から解雇されているのですが、時代小説で大ブレイクを果たして以降の足取りは皆様ご存じの通り。文人・軍人・政治家・学者と、雑誌記者時代の多方面への取材は、その後の作家人生にも大きな影響を与えたことでしょう。ただ、当時を偲ぶ雑誌『日本魂』は、残念ながらこちらの館をもってしても全巻のコンプリートが難しいとか。とにかく貴重な資料ですので、お見かけの方はぜひご一報を。

その後も歴史を重ねた帝国興信所は、1981年に帝国データバンクへと社名を変更。国内最大級の企業情報データベースを保有する同社は、金融機関の関係者や企業経営者、経営企画畑の方にとってはお馴染みの存在ですね。

伺った日は、テーマ展示『関東大震災と帝国興信所』が開催中でした(現在は終了しています)。展示では、関東大震災の直後、帝国興信所の208名の社員が被災体験を綴った『震災手記』がとても印象に残りました。今回の訪問後、能登半島地震に見舞われたばかりの現在の視点で展示を思い起こせば、関東大震災から一年後の所感として記載された手記の冒頭にあった「一、災害は予告なし」との言葉が改めて胸に刺さります。

AI時代が本格的に幕を開けた現代においては、情報やデータベースがさらに重要性を増していくことでしょう。100年以上前から蓄積されてきた膨大な情報は、これからの企業づくり、社会づくりにどう役立てられるのでしょうか。若い企業経営者や自治体関係者の方々は、温故知新の精神でぜひ一度ご訪問の上、現代の日本経済の発展に寄与した先人たちの足跡をご覧になることをおすすめします。

 


帝国データバンク史料館 https://www.tdb-muse.jp/