ミュージアムリサーチャー

ミュージアムレポート


MoMAとユニクロのコラボレーションによる「ユニクロ・フリー・フライデー・ナイト」をご存じでしょうか。ニューヨークで目の当たりにした岐阜県の企業経営者は、「自分たちもこんな仕組みを作れないか」と考えます…。

中山道広重美術館では、いま、新たな試みにチャレンジしています。企業経営者たちの「地元への想い」からスタートしたこのプロジェクトは、「入場料を無料化したのに収入増加」というミラクルな導入効果を実現。博物館運営の新しい時代を予感させる好事例ということで、今回は現地を取材してきました。


1 きっかけは岐阜企業の海外視察

MoMAことニューヨーク近代美術館は、金曜日の16時から閉館時間までなら無料で入館できることをご存じでしょうか。これは、実は日本のアパレル企業「ユニクロ」がスポンサーとなって実現しているサービスなのだとか。
社員研修でNYを訪れていた株式会社サラダコスモの社長は、この試みに感銘を受けます。同社は、岐阜県中津川市に本拠を置き、主に地元の農産物にまつわる事業を展開する企業。こうした仕組みをわが街でも…と、地域のミュージアムに話してみることにしたそうです。
創業60年余、もともと地域の文化に貢献することに意欲があった同社の想いと、斬新な提案内容。これに大いに共感し、実現に向けてともに動き出したのが、お隣の恵那市にある中山道広重美術館でした。

2 多数のハードルをクリアした数々の工夫とは

当時の館長は、地元企業の支援を市民に直接還元できる点を評価。とは言え、どれだけ企業と美術館が共鳴し、足並みを揃えることができたとしても、そこは公立館。当然ながら、いくつものハードルがありました。
まず、条例で定められている観覧料を無料にするという難題は、行政の理解を得ながら何とかクリア。具体的には、条例に付随する規則の改正で対応したそうです。また、スポンサーに依頼する金額設定も、採算管理が求められる美術館にとってはデリケートな問題でした。そこで、土日を除く営業日を対象に、1日を3コマに分けて1コマあたりの年間スポンサー料を設定。過去の実績から50万円と定めます。

もうひとつ、改めて向きあうことになったのが、「ミュージアムと民間企業の関係」でした。想いがいくら通じ合っていても、公共機関である以上は「想い」だけでパートナーを選ぶわけにはいきません。また、隣接する中津川市と言え、なぜ恵那市内の企業ではないのかという疑問の声があがるかもしれません。
そこで、提案者であるサラダコスモ社の了解を得て、スポンサーの募集綱領を作成。すると、同社のほかに、地元・恵那市の木曽路物産株式会社、株式会社銀の森コーポレーションが手をあげました。主旨に賛同した各社の協力によって、「地元3社でひとつの美術館を支える」という理想的な形態が出来上がったのです。
では、次は仕組みそのものを詳しく見て見ましょう。各ステークホルダーは何を提供し、何を得るのでしょうか。


まず、スポンサー料を負担する3社は、地元文化に貢献するという社の姿勢を明確に示すことができます。一方の美術館は、スポンサー収入分を利用者の入場料に充て、「入場無料」というサービスによって来館者の増加を期待できます。利用者は、もちろん無料で展覧会を鑑賞できるというメリットを得ます。そして、手続き上、教育委員会や自治体が関わることになりますが、彼らは地域文化の活性化という役割を担っているため、美術館が賑わう下地づくりはひとつの成果と見なすことができます。
このように、関わる人すべてに利益をもたらすとても優れた仕組みとなったのです。

3 誰もが目を丸くするプロジェクトの成果

ミュージアムにとっては願ってもない話ですが、では実際に成果は出ているのでしょうか。ここでは、データをもとに検証してみましょう。
まず、無料デーとなる金曜日に、来館者数が増えているかどうか。制度を導入したのは平成29年10月とのことですが、平成30年5月に集計された「金曜日の入館者数」は、前年比で実に2.7倍という「倍増」以上の数字を示しています。

金曜日の入館者数の変化

「金曜日の入館者が増えても、それは無料だからであって、その分ほかの曜日が減ったら意味がない」という向きもあるかも知れません。というわけで、全曜日合計のデータも検証してみます。
すると、驚いたことに、何と前年比で4割増という結果を弾き出していました。中山道広重美術館によれば、無料デー前日となる木曜を除き、全曜日で少しずつ増えているそうです。しかし、これはまだ序の口。サプライズはほかにもありました。

月ごとの入館者数の変化

金曜は何人訪れても無料。ほかの曜日は大きく増加傾向。となると入館料収入が気になるところです。
データによれば、制度実施後半年間の実績では、前年比で7%増。有料入館者が入る曜日が1日減っているにも関わらず、全体では増えているのです。加えて、スポンサー料があります。入館料収入は上がり、別途スポンサー料も入ることにより、館全体の事業採算が大きく向上することになったわけです。
これは、誰もが目を丸くする成果と言えるでしょう。献身的に努力を費やした関係者たちの歓びは、想像に難くありません。

月ごとの観覧料収入の変化

4 取材を終えて

そしてもうひとつ。金曜に訪れる来館者たちが入場無料の「浮いた分」を活用しているのでしょうか、最近は買い物をする人の姿が目立つとのこと。そう、ショップの売上まで増加傾向にあるのだそうです。
お話を伺うに、この金曜日は「初めて美術館に来た」という層がかなりいるようです。中山道広重美術館は浮世絵専門の美術館ですので、作品保護上の理由もあり、展示の入れ替えが多いという特徴があります。したがって、来館者に「来るたびに新しい発見がある」とアピールできるわけです。金曜日に魅力を知り、何度か通ううちに、ほかの曜日にも足を運ぶ…。ファンづくりにはもってこいの企画です。
本家のニューヨーク近代美術館&ユニクロでは、単なるスポンサードだけに留まることなく、さらなるコラボレーションも始まっているとか。中山道広重美術館でも、今後は浮世絵の美術館という強みを活かしたショップ展開なども視野に入ってくることになるでしょう。しかも、2020年には東京五輪があります。浮世絵は外国人にも人気ですので、さまざまな機会を通して、「自国の魅力」に気付く層の裾野はまだまだ拡大しそうです。

さて、今回の取材は、ミュージアムにとって明るい話題ばかりで、非常に気分が良かったのですが、とりわけ印象的だったことがあります。それは、契機をもたらした株式会社サラダコスモの社長のお考えです。
「企業は地域に育ててもらったものだから、こうした形でご恩返しできるのは、経営者冥利に尽きる」。彼は、日頃からスタッフにそう伝えておられるそうです。これを受けて、中山道広重美術館では、スポンサー企業の社員向けに学芸員を講師とした浮世絵の勉強会が開催されています。
サラダコスモ社では、事業の一環として中津川市内に「ちこり村」を運営しています。ちこりとは野菜の一種で、「国産ちこり」を実際に食べたり、種芋「ちこり芋」から生まれた多様な商品を通じて、ちこりの魅力を楽しく学べるこの施設では、美術館のPRコーナーを設けているそうです。

また、同社とともにプロジェクト実現に大きく貢献した2社にも拍手を送りたいと思います。木曽路物産株式会社は、内モンゴルの天然素材をベースとした岩塩や味噌・醤油などを扱う企業で、同地の砂漠緑化のための植林プロジェクトなど社会貢献事業には非常に積極的とか。株式会社銀の森コーポレーションは、「おいしいもので人の幸せを作る」がモットーの会長の元、自然派の業務用冷凍食品などを展開。こちらも、総合公園施設「銀の森」 の運営に携わっているそうです。
サラダコスモ、木曽路物産、銀の森コーポレーション。いずれも、岐阜県の経済を支えるビジョナリーカンパニー。この3社が集まったことは、この「フリーフライデー」プロジェクトにとって僥倖でした。各社のWEBサイトの内容を眺めながら今回のプロジェクトの流れを整理するにつけ、企業経営の何たるかを教わる気分です。

困難を乗り越える形で設計され、着実な成果を上げている中山道広重美術館のスポンサー制度ですが、何よりの原動力、成功の秘訣は、関わる人々の想いにあります。今回の取材では、それを肌で実感することができました。こうした想いと仕組みが、ともに全国に広がっていくことを願うばかりです。